自分とゲーム3

(前回からの続き)

茨木市の印刷屋さんにデザイナーとして入ったわけですが、3歳年上のO田さんという先輩と出会うことになります。

彼が生粋のゲーマーでセガマニアであることに気づくのに半日もかかりませんでした。

ともにセガ好きでサターン、ドリームキャストユーザーだったので、バーチャやシェンムーなどの話題で盛り上がる毎日。そんな中、ドリームキャストで自分らの人生を狂わす(笑)ゲームが発売されました。

その名も…PSO!

そう、あのファンタシースターオンラインです。
ネットゲームにいち早く注目していたセガが送り出した超名作にして歴史遺産にしてもいいゲーム!

O田さんと自分は「こいつぁーゲームの世界が変わるぜ!!」と、ドリマガを読みながら叫びました。
黎明期からパソコン通信をたしなみ、サターンのXband時代からバーチャロンでネット対戦していたO田さんはネットゲームの楽しさをさらに自分に説き、会社帰りにドリームキャスト用キーボードを茨木のジョーシンへ買いに行きました(嗚呼…昨日のことのように思い出されるw)。

この時代にモデムが標準装備されていたドリームキャストは奇跡のマシンです。

家に帰り、電話線をドリームキャストのモデムに挿し、メシ食って風呂に入って午後11時を待ちます…

そう、当時はまだネット定額制はなく、11時~翌朝8時までのテレホーダイタイムを狙うしかなかったのです。(いい時代だった…)

PSOの世界はまさに夢のようでした。画面の向こうに生身の人間がいるんです。

決まった台詞を返してくるだけだったRPGに命が吹き込まれたようでした。

そこで自分は自分の分身の「Kibamaru」というキャラを作り、O田さんは「Ryojin」というキャラを作成し、PSOの世界に毎晩踏み込むことになります。(ちなみに今もず~っとオンラインの名前は二人ともこのままです)

初めてできた友達は大学生の「blackgoat」。くろタンと呼んで仲良くしてたな~。

PSOは本当に良くできたゲームでした。
基本はLVを上げながらレアアイテムを求めて周回するスタイルなんですが、なぜか飽きが来ない。プロデューサーの中さんが考え出した至高のゲームデザインだと思います。

思い返せばセガはすべてのことが10年早い、先見の明がありすぎて自滅するそんなメーカーでした。

バーチャレーシングでフルポリゴンゲームを作り、オンラインにも大投資し(イサオネットって知ってます?w)、携帯ゲームもフルカラー化し…

今、ちまたであふれるモバゲーを見てるとぐるぐる温泉を思い出しますし、GTAをはじめとする箱庭ゲームを見るとシェンムーを思い出します。

ああ、そんなセガのハードはもう2度と出ないのですね…

ただのソフトベンダーになったセガは、いくら贔屓目に見ても過去の輝きはありません。あのちょっと斜め上を行く癖の強いクリエイター集団のゲームは、もう遊べないんですね…。

ちなみに今でもO田さんと会うと、ず~っとこんな話をしています。

前回は夕方6時から飲み始めて翌日の始発まで、梯子しながらゲームの話三昧。

おしゃれなバーでウイスキー飲みながら熱くセガについて語る三十路男を見かけたら自分たちだと思って下さい。


で、話は戻りますが約1年間PSOで遊び、そろそろ新しいゲームを求めていたとき、ついにあのゲームと出会うことになるのです…

忘れもしない2001年11月。PS2版から遅れること6ヶ月後に発売された純国産MMO-RPG…
(次回へ続く)

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